岡目八目
(2)お坊さんもたじろぐ緊迫感
(寄稿連載 2011/08/02読売新聞掲載)タイトル戦は全国各地で行われますが、私も数多く坂田に同行して付き添い、身の回りの世話をしました。
対局前夜の坂田は興奮してしまって、眠ることができません。ウイスキーをカーッと飲み、酔った勢いでなんとか布団に入るんです。
前夜だけでなく、二日制の対局の間中、ほとんど食べ物が喉を通りません。初日は私が無理やり料理を口に持って行って少しだけでも食べさせるのですが、二日目になると、もうまったく何も受け付けません。
おそらく食事なんてものはどうでもよく、碁のことしか頭になかったのでしょう。今となってみれば、だからこそあれだけのことを成し遂げられたのだとも思います。
タイトル戦でのエピソードと言えば、最も印象深いのが、昭和50年(1975年)の第30期本因坊戦で石田芳夫さんを挑戦者に迎えての第5局です。
成田山新勝寺で行われたので、対局中のお茶やお菓子を運ぶのもお坊さんが務めたのですが、初日は機敏に動いていたお坊さんたちが、二日目の勝負所の場面で務めを果たそうとしたところ、金縛りにあったように、一歩も足を進めることができなかったのです。部屋を支配している緊迫感に打たれたのでしょう。
それを見て私は、「あぁ、精神的な修行を積んでいるお坊さんたちをたじろがせる空気を作り出す囲碁の勝負とは、本当に恐ろしい世界だ」と震え上がりました。
そして、その世界で頂点を極めている坂田もまた本当にすごい人だと、改めて思ったのです。
(坂田栄男二十三世本因坊夫人)