岡目八目
(2)上京3年 18歳、年の瀬入段
(寄稿連載 2007/07/30読売新聞掲載)小学6年の夏休みから8か月ほど、沖縄本島の石嶺真雄先生のところにお世話になりました。子どもに指導をされている方で、父が期待して預けたようです。
じつは、本島からそのまま関西棋院に行くことが決まっていたのですが、ホームシックで宮古島に帰ってしまいました。
それから1、2年の間、碁から離れました。なんとなく、中学の先生になりたいと思っていました。それが大人の大会に出て、碁に戻りました。戻るとまた夢中になったようです。
東京へ行くことになったのは、偶然のきっかけからでした。中学3年の7月にたまたま、囲碁新聞で幕張の日本棋院研修センター開設の記事を見たのです。10月にオープンということで、この機会にと決断して上京することにしました。
上京したものの、研修センターの寮生は、女子は中学卒業と同時に出なければなりません。中学3年だった私には、もう半年しかないのです。
卒業した後は、当時姉が看護師の勉強で東京に来ていて、その先生のお宅にお世話になることになっていました。ところが、その先生が急死されてしまったのです。
そんなときに、同じ沖縄出身の時本壱(はじめ)先生が、「茨城に引っ越したばかりで、遠いけどそれでもよかったら」と内弟子にしてくださって、院生修業を続けることができました。
宮古島を出たときから、プロになるまでは帰らないと決めていました。中学3年で上京してから3年2か月、18歳で入段が決まったのですが、その年もリーグ戦の1局目に負けて、今年はダメだと半分あきらめていました。それが残りを8連勝して、12月29日の最終局で入段を決めることができたのは奇跡的でした。
母も今年は無理だと聞かされていたようです。試験も落ちて正月にも帰って来られないのでは、かわいそうだと思ったのでしょう。内証で31日の飛行機のチケットを用意してくれていました。ありがたかったです。
(囲碁棋士四段)