岡目八目
(4)囲碁界の発展 道悦のおかげ
(寄稿連載 2010/04/20読売新聞掲載)本因坊道悦と聞いてピンとくる囲碁ファンは少ないと思いますが、私は個人的にこの道悦を最も尊敬しています。
史上最強の呼び声も高い本因坊道策の師匠だからというだけではなく、「道悦こそが囲碁史上で、最も碁打ちとしての気骨を示した人物」だという認識があるからです。
寛文8年(1668年)、幕府から安井算知に名人の認可が下りたのですが、道悦はこれに対し「納得できない」と、猛烈な異議申し立てを行ったのです。
これだけだと、単なる碁打ちの権力争いと受け止められてしまうかもしれません。しかし当時の社会の仕組みを考えると、これは「お上に盾突く」とんでもない行為なのです。道悦としては、幕府を相手取ってのけんかであり、遠島も覚悟した命がけの異議申し立てなのでした。
道悦の剣幕と熱情に押されたのでしょうか。幕府から算知との争碁の許可が下りました。そしてこの争碁は、やがて「利あらず」と見た算知が名人を返上し引退するという結末に終わりました。
命がけの抗議が実を結んだわけですが、道悦の真のカッコよさはこの後です。「お上を騒がせた」責任をとって自らもまた、弟子の道策に家督を譲って引退したのです。
以降、江戸時代の囲碁界には「身命を賭して名人を争う」という精神が脈々と受け継がれていくことになり、この精神が日本の囲碁レベルを飛躍的に押し上げました。
現代の棋士が碁で食べていけるのも、すべては道悦のおかげであり、私は「囲碁史上最大の恩人の一人」と思っているのです。
(囲碁棋士九段)(おわり)