岡目八目
(3)来日2年 14歳でプロ入り
(寄稿連載 2013/10/01読売新聞掲載)12歳で来日し、日本棋院の院生となりました。日本でプロとなり、台湾に帰られた鄭銘琦七段の紹介で、黄孟正九段に弟子入りしました。
院生のことや、畳の部屋で対局することなどはマンガ「ヒカルの碁」で知っていました。本当に日本でやっていけるのか不安もありましたが、考えないようにしました。
東京の神楽坂にアパートを借り、両親が交代で面倒を見てくれました。その建物は今もあり、「ここに住んでいたんだよ」と、友だちに話すと「えっ、廃墟(はいきょ)かと思った」と驚かれます。それほど古いアパートだったのです。
内装はまずまずだったのですが、階段はいつ壊れても不思議ではありませんでしたし、なにしろ古いので夜はネズミ、朝はカラス、少し家をあけるとゴキブリというようにあらゆる生物が出てくるわけです。洗濯機もなかったので服は全て手洗い。冬は寒かったです。でも、楽しい毎日でした。
日本語もほどなく覚えました。院生で一緒だった王景怡二段が通訳してくれたり、奥田あや三段が一生懸命教えてくれたことを覚えています。研究会に行くようになり、気がついたら日本語で質問できるようになっていました。
来日して2年弱、14歳4か月でプロ入りを決めました。今思うと順調でしたが、当時は早くプロになって家族の負担を減らすことしか頭になく、2年が早いとも思いませんでした。女流枠ではなく、男女一緒の正棋士採用での女流棋士最年少記録だったことにも、うれしさより、応援していただいた方たちへの責任を果たしてホッとした気持ちの方が強かったように思います。
(囲碁女流三冠)