岡目八目

市橋優さん

市橋優さん

(1)縁側の囲碁観戦が原点

(寄稿連載 2019/06/05読売新聞掲載)

 ◇いちはし・まさる

 私は、巨大ビルの設備を設計する会社を経営しており、3年前から「トライカップ プロ囲碁団体戦」という棋戦を協賛させていただいています。

 10年ほど前までは、囲碁仲間と交流し、プロ棋士の指導碁を受けるのが楽しみだった、ただの「囲碁の生徒」でした。転機となるいくつかの出会いがあり、こんなにも囲碁人生が豊かになり、囲碁のご縁を改めてありがたいと感じます。

 私の中の囲碁の原点は、「昭和の縁側」です。小学校1年のころですから、半世紀以上も前のことになります。親父が友人と縁側でパチパチやっているのを見よう見真似で覚えました。親父は今でいえば3級か4級で、段の実力はなかったと思います。親父の友人は強かったような記憶があります。それから中学生のころまで、のめり込みました。少年時代の曇りのない好奇心や真っ直ぐな情熱を、私は囲碁に注いで育ったわけです。

 その後は少しブランクがあり、地元の広島で会社を興しましたので仕事も忙しくしていましたが、再開するや、また囲碁にのめり込みました。武宮正樹さんの宇宙流が好きで、模様の勉強をずいぶんしました。石を取りにいくのも好きで、「殺し屋」の加藤正夫さんの碁も大好きです。模様を張って戦う碁は、確率で言えば勝ちにくいのですが、自分の棋風は30年以上変わりませんし、これからも変わらないでしょう。

 そして13~14年前、囲碁仲間から、広島在住の棋士、山本賢太郎五段を紹介してもらいました。

 彼との出会いが、いろいろな意味での私の転機になりました。

(市橋工業代表取締役)