岡目八目
(2)脚本を通した「打ち」合わせ
(寄稿連載 2012/04/17読売新聞掲載)脚本家になりたての頃、あるベテラン監督と仕事をすることになった。急ぎの仕事だったので慌ただしく書き上げ、打ち合わせに臨んだ。
まだワープロなどという便利な機器は普及しておらず、脚本家は原稿用紙に手書きで仕事をする時代だった。
監督は打ち合わせの席に座るなり、原稿用紙の束をポンと机に放り投げ、「こないなホンでは商売になりまへんなァ」と吐き捨てた。
新人だった私は、身の縮む思いだった。
プロデューサーが気を利かせて、食事の席へと流れた。
脚本の出来の悪さも忘れ、和気藹々(あいあい)としたお酒になった。雑談の最中、私の趣味は囲碁だという話になった。
別れ際、明日から打ち合わせをするぞ、と言われた。
翌日、撮影所に行くと、監督はいきなり、碁盤を取り出した。
「打ち合わせはいいんですか?」とたずねると、「そんなのはあとでいいから」と碁石に手を伸ばした。結局、脚本の打ち合わせはなかった。
翌日からも、撮影所に通って囲碁だけを打った。
打ち合わせは打ち合わせでも、囲碁を「打つ」ほうの打ち合わせだった。
こうして、会社の重役を交えた最終の脚本会議の日を迎えることになった。
改訂作業で、ほんの少ししか手を入れていなかったので、不安でたまらなかった。
開口一番、監督が「なかなか、よう書けてまっせ」と発言した。それに引きずられるように、好意的な雰囲気のうちに会議が終了した。
芸というにはあまりにもお粗末な棋力だが、囲碁に助けられた。
(脚本家)