岡目八目
(2)五百段超える門下総段位
(寄稿連載 2009/03/16読売新聞掲載)平塚と東京・四谷の木谷道場にはたくさんの才能が集まり、そして羽ばたいた。
大竹英雄さんをはじめ石田芳夫、武宮正樹、加藤正夫の「三羽ガラス」、趙治勲と小林光一の「宿命のライバル」……。門下の総段位は五百段を超えるという。
碁が強いことを除けば、普通の子どもたちだった。朝起きて碁を並べ、ラジオ体操をし、ぞうきんがけや便所掃除をし、食事をして学校に行き、帰ればソフトボールをやり、食事をして夜は碁を打ち、プロレスや喧嘩(けんか)をした。
皆、天才というより努力の人だった。人知れず、ひたむきに勉強していた。
一人だけ尋常でない子どもがいた。趙治勲さんである。 一九六二年、六歳で日本に来て林海峰六段(現九段)に五子で勝った。言葉の通じない年長の子どもばかりの四谷道場で、すぐに一目置かれる存在になった。
小学校高学年のとき、彼が真剣に悩んでいる。「僕は神童とか天才とか言われてきたけれど、このままだと普通の人になってしまう」と。
治勲さんのおじさんが故趙南哲・韓国九段で、十四歳で入門し十九歳で帰られた。韓国棋院を創立され、そのご縁で治勲さん兄弟、金寅・韓国九段、河燦錫・韓国九段らが木谷道場に入門し、育った。
一九八二年、母は門下の方々に招かれ韓国を訪れた。「忘れたことのないお弟子さんたちに再会し、抱き合って涙にくれた」と書いている。
お弟子さんたちは両側から母を支え、デパートの売り子さんまでが「オモニ(お母さん)」と声をかけてくださったという。
(暮らしと耐震協議会理事長)