岡目八目
(3)寡黙な父、天真爛漫な母
(寄稿連載 2009/03/23読売新聞掲載)子どもたちが、わいわいしゃべりながら碁を打っていると、いつの間にか父が後ろに立っている。気がついた子どもから静まり返り、次の瞬間空気がピーンと張り詰める。
碁盤に向かうと父は常に真剣だった。巡業では宴会の時間になってもアマチュア相手の碁が終わらず食事が冷え、翌日、続きを打ったと聞く。
寡黙で厳しかったが、弟子たちと打ち碁を検討するときや詰め碁を出すときは、本当に楽しそうだった。正月には、独立したお弟子さんたちも集まり、皆で連碁や銭回しや百人一首に熱中した。
納得しなければとことん筋を通す人だった。「できるかできないか、やってみなきゃ分からん」が口癖だった。父との心のつながりは実の子どもより弟子の方が深いだろう。
母には懐かしい思い出しかないが、子ども時代はしょっちゅう叱(しか)られていた。「がんばりなさい」と食事のたびに説教され、僕を含め弟子たちは下を向いてやりすごした。
母は「よその子どもは一人も育てていない、みんな自分の子どもと思って育てた」と書いている。分け隔てないことは徹底していた。
長兄の健一は「二人に一人、弟子か子どもを出せと神様に言われたら、母はためらいなく子どもの方を差し出したであろう」と書いている。
僕は赤ん坊のときに碁石を飲み、死にかけたらしい。母は隣の病院に運ぶ間がないと直感して指を突っ込み、こじり出した。これを含め僕は何度も母にいのちを救われた。
父は天真爛漫(らんまん)な母を、母はきっぱりとした父が大好きだったから、子どもが束になっても二人にかなわなかった。
(暮らしと耐震協議会理事長)