岡目八目
(3)囲碁好き信長 400年の礎築く
(寄稿連載 2018/09/05読売新聞掲載)さてここで、囲碁の歴史を振り返ってみましょう。江戸時代の1612年には幕府から本因坊算砂をはじめとする碁打ちに俸禄が支給されるようになりました。
その長い歴史の中でももっとも囲碁への影響が強かった人物といえば、織田信長が挙げられると思います。囲碁を表舞台に引き上げてくれた恩人で、「囲碁の父」とも言える人です。
本因坊算砂を取り立てただけでなく、囲碁界というものを形成して、棋道400年の基礎を築いたといっても言い過ぎではありません。何しろ本能寺の変で討ち死にする前も、碁盤を囲んでいたという言い伝えがあるほどです。
信長は、朝廷には政治の力はなくても、趣味を中心とした雅(みやび)ごとの世界が隠然とした力を持っていることを見抜いていました。連歌、和歌、蹴鞠(けまり)などの趣味に同調することの危険さに気がつき、武家の雅を打ち出したのです。
最初に取り上げたのが茶道でした。茶をならうというシステムを作り、武将への褒美として茶会を開くことを認めたわけです。
続いて武家の雅として取り上げたのが囲碁でした。
織田信長が本因坊算砂のことを「名人」とほめたたえたのは1578年のことです。茶、囲碁に続く趣味を売り出そうとした時に、本能寺の変が起きてしまったのでした。
とはいえ、信長に続く豊臣秀吉、徳川家康も碁を好み、本因坊算砂をはじめとする碁打衆を取り立てました。
信長と秀吉、家康はみな弱い五段ぐらいで、同じぐらいの棋力だったのでは、とも言われています。
(囲碁引退棋士八段)