岡目八目
(2)広まった吉備真備伝説
(寄稿連載 2010/02/09読売新聞掲載)昨年5月出版した『囲碁 語園』には、江戸時代に生まれた雑俳(川柳)に囲碁を詠みこんだ句を、ざっと2700句載せた。この雑俳に詠まれた碁打ちで最も句が多いのは奈良・天平時代の官人、吉備真備(きびのまきび)(693~775)で96句ある。続いては平安時代の僧、寛蓮(かんれん)の19句、源氏物語の女性の打ち手、空蝉(うつせみ)の15句である。
真備にまつわる雑俳をみていただこう。
明日の碁を鬼が教へて帰りけり
おふちやくな・丸のみにした碁の妙手
「遣唐使の吉備真備が玄宗皇帝の御前で、唐の名人と命をかけた勝負碁を打つ。四つ目殺しも知らぬ真備を、阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)の亡霊が教え導く。終盤形勢不明のとき、真備は碁石を一つくすねて飲み下し、一目の勝ちを得た」
この荒唐無稽(むけい)の奇談は、平安後期の説話集『江談抄』にあり、後の絵巻物や謡曲、さらに近世の草紙や実録物に翻案されて有名になった。
帰朝してにわかに那智の砂がへり
真備にはいま一つ、「囲碁を日本に伝えた」という伝説がある。『慶長見聞集』(1614年成立)がこの伝来伝説を伝え、江戸期に編まれた棋書の序文にはお定まりの枕ことばのように語られている。
真備は717年に留学生として入唐したのをはじめに、2度にわたり通算20年間、唐にあった。
彼の留学よりも前に編まれた「律令」や「風土記」の遺文から、「囲碁の日本への伝来は真備よりも古い」ことが明らかだが、真備も囲碁文化を伝えた一人だったのだろう。
(囲碁史研究家)