岡目八目

宮沢吾朗さん

宮沢吾朗さん

(2)指導碁に没頭 9か月の足跡

(寄稿連載 2015/09/01読売新聞掲載)

 父(宮沢四郎さん)がのこした「諸国愛棋家芳名録」には、昭和5年(1930年)6月25日をスタートに、翌年3月までの約9か月に及ぶ足跡が記されています。

 指導を目的とした囲碁の旅は千葉県の松戸から始まり、ここで2子から8子まで8人と対局しています。翌26日は茨城県の土浦に行き、石岡、太田、東茨城を訪れています。東茨城では5日間で14人と対局するなど、連日のように指導碁を打っています。続いて、日立などをまわり、茨城県では22日間に延べ48人と対局しています。8月19日に福島県に入り、三春、郡山、福島など5か所をまわり、1か月で23人と対局しています。

 「芳名録」には交通手段、所要時間、空き日の過ごし方などは記していないため詳細は分かりませんが、かなりの健脚だったことがうかがわれます。そして行く先々で指導料のようなものを頂き、旅路の糧にしていたのではないでしょうか。

 その後、9月28日に宮城県の石巻に入り、塩釜、佐沼、石越などを訪ね、20日ほどかけて35人と、岩手県は10月下旬から7日間で21人と対局。11月に青森県に入り31人と相対しています。ここまで対局した相手は、千葉県を振り出しに青森県まで6県で延べ180人に及びます。

 訪問先をどの様にして探したのか不思議に思い、昭和5年発行の「棋道」を調べてみました。日本棋院は大正13年(1924年)に創立され、機関紙「棋道」は発行されているものの、囲碁雑誌としての大要は定まっておらず、発行月により、ページ数はまちまち。残念ながら現在のような愛棋家の支部組織は見つかりませんでした。

(囲碁棋士九段)