岡目八目

村上栄昭さん

村上栄昭さん

(1)「秀策のまち」を「囲碁のまち」に

(寄稿連載 / 2006.08.07読売新聞掲載)

 瀬戸内海の中央に位置する因島(いんのしま)は、江戸末期の天才棋士、本因坊秀策(1829~1862年)の出生地だ。9歳で江戸の本因坊丈和に入門し、御城碁で19勝無敗の大記録を打ち立てたが、コレラに感染して亡くなった。一方で御城碁も途絶えた。そうしたことがなければ、連勝記録はもっと伸びていただろうに、と惜しまれてならない。

 近代碁の道を切り開いた棋士でもある。秀策の打ち碁をよく並べる小林光一九段が「現代に生きていても日本一になったと思う」と語ってくれたことを、よく覚えている。

 元々、囲碁が盛んな土地柄だ。私の父もよく碁敵と打っていた。私はそんな姿を見ていて自然にルールを覚え、小学5年の時から打っている。そして因島はレベルも高い。王座2期、十段1期の半田道玄九段、アマ碁界で一時代を築いた村上文祥も輩出し、アマ大会の広島県代表も少なくない。"囲碁のDNA"が豊富なのかもしれない。

 そんな古里を誇りに思うが、近年は後継者があまり育っていない。我々の責任だ。我々の代で灯(あか)りを消してはいけない。そんな危機感が「囲碁のまちづくり」の発端となった。

 まず普及活動が重要と考え、授業などに取り入れるよう小、中学校に働きかけた。それと並行して1996年、因島市(現尾道市)に「囲碁を市技にしてほしい」と要望した。行政がお墨付きを与えてくれれば、学校側も受け入れやすくなると考えたわけだ。

 私が相撲の国技という言葉を聞いて、「これだ!」とひらめいたのが市技制定のアイデア。国内で前例がなかったため、市は初めのうち慎重だったが、我々の熱意が通じ、翌年、晴れて市技となった。市は囲碁を因島を代表する伝統文化ととらえ、「秀策のまち」なら全国にアピールできると期待したのである。

 人口約2万7000人の小島だが、我々の夢は「世界一の囲碁のまち」になること。その基盤ができ、大きな達成感を味わった。

(広島県因島囲碁協会長)