岡目八目
(2)修行か学業か 迷走した青春
(寄稿連載 2019/03/13読売新聞掲載)少し、私の半生にお付き合いいただきたい。
長野の片田舎で9歳の時に囲碁を覚え、12歳で小学生名人に。子ども心に「囲碁のプロになるのだろうか」などと考えていたが、甘い世界ではなかった。中学入学と同時に趙治勲先生の内弟子となり、どっぷりと囲碁の世界に浸かるはずだったが、どうにも修行に集中できない。今にして思えば、一つの芸事だけに没頭できない自分に無意識に気づいていたのかもしれない。
16歳の時、内弟子をやめて1年遅れで地元の高校に入学した。今でこそ進学する棋士や院生は多いが、当時は本気でプロを目指す子どもは中卒が当たり前だった。「学校なんかに行って遊んでないで、真面目に囲碁をやれ」と言われることもしばしばだった。
週末の院生手合には日帰りで参加し、平日は学校へ。それなりに負担は大きかったが「これが自分の生き方だ」と思っていた。しかし、囲碁を言い訳に学業もそれほどやっているわけではなかったから、もし棋士になれなかったら中途半端な存在になってしまう、という漠然とした不安はあった。
17歳の時に棋士採用試験で次点となったこともあり、高校卒業後も棋士の夢をあきらめられない。両親に「もう1年だけ時間が欲しい」と最後のプロ試験を受けたが、なんと最終予選に進む前に敗退した。いよいよ自分の限界に絶望したが、嘆いていても始まらない。
怪我の功名と言うべきか、最終予選に進めなかったことで時間の猶予ができたので、改めて進学することにした。受験期間は3か月しかなかったが、なんとか中央大学に合格した。これからどうしようか。
(第39回世界アマ日本代表)