岡目八目
(1)芭蕉の俳句に碁のかけ言葉
(寄稿連載 2005/01/17読売新聞掲載)囲碁や将棋を詠んだ川柳は多いが、俳句は少ない。厳しい勝負事の世界は、季語を含む短詩型文芸になじみにくいのだろう。
江戸時代、芭蕉門の其角、嵐雪、杉風や蕪村、一茶らに囲碁句が見られる。明治になってからも子規、碧梧桐や虚子にもある。ただ、ほとんどが「碁に負けて忍ぶ恋路や春の雨」(子規)のように、囲碁を主体としてでなく、取り合わせの一つとして詠んでいる。
俳聖といわれる芭蕉はどうか。
千近い俳句(発句)には、「碁」の字が入った句はない。付け句(連句)に二句ある。
道すがら美濃で打ける碁を忘る
碁の工夫二日閉ぢたる目をあけて
前者は尾張の俳人たちと巻いた歌仙「冬の日」の一句。「美濃で打った碁譜を旅のつれづれに思い出そうとしたが、思い出せなかった」という評注がある。後者は「野ざらし紀行」の一部の写本にある。「碁の手順を二日考えて思いついた」という意だろうか。
連句の付け句は、自分の体験や事実を詠むとは限らない。想像の世界の広がりがあって、連句が発展していく。芭蕉が碁を題材にしたからといって、碁を打ったと短絡はできない。
だが、この両句は他の俳人の句と異なる。「碁譜を思い出す」のは、かなり力がなければできない。「碁の工夫」句も「二日」「目をあけて」は、碁の死活の基本である「二つの目」に関連している。こうしたかけ言葉は、芭蕉の俳句にはしばしば見られる。両句とも碁を知らない人には出てこない発想だ。
紀行文「笈(おい)の小文」には、伊良湖崎を訪れる途中「碁石(白石になる貝)を拾ふ」と書いてある。
また、芭蕉の俳諧(はいかい)観を伝えた「三冊子(さんぞうし)」に、芭蕉がある人の俳句を「碁ならば二、三目跡へ戻してすべし」と言ったことが載っている。俳諧の教えに碁を引くのは、碁を知らない人にはできない。ほかにも、芭蕉と碁に関する傍証があり、私は芭蕉は碁を打ったと思っている。
(囲碁史研究家)