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岡目八目

読売新聞 2005/02/07掲載
中田敬三さん

(4)郵便碁の先覚者「秀甫」波乱の生涯(寄稿連載)

 ITで情報通信の高速時代に入った今日、人力の運搬によるハガキで碁を打っている人たちがいる。
 日本郵便碁愛好会。七百人以上の会員がいる。最近はメール対局も増えてきたが、主流はハガキの碁だ。ふつう一枚のハガキで四局を打つが、往復(二手)に早くて一週間かかるとして、一局終わるまでに二年半から三年かかる。
 ハガキには、着手のほか文章を書き込むことが多い。趣味のこと、家族のこと、社会のできごとの感想など。ハガキの往復を通じて、顔も知らない、声も聞いたことのない人と、親しい友達になる。
 郵便碁を最初に始めたのは、「方円社」社長の村瀬秀甫だった。明治十六年に岩手県の旧南部藩士と対局したのが第一号とされる。遠隔地に住む碁愛好家への便を考えたのである。秀甫はまた、囲碁をヨーロッパへ伝えた最初の人でもある。囲碁普及の先覚者だった。
 文久二年、本因坊跡目の秀策が急死したさい、自他ともに秀甫が跡目を継ぐと思われたが、ある事情から実現しなかった。「憤然として主家を去った」とも伝えられるが、事実は違う。秀甫は「三の日会」などで、黙々と碁に精進し、維新の動乱ですっかり沈滞した碁界を明治十二年の「方円社」の結成でよみがえらせた。
 同十九年七月、家元側との和解が成って秀甫は十八世本因坊に就任する。その夜、酒に酔い、本因坊家伝来の「浮木の盤」を頭上にかざして部屋中を踊り歩いたという。頂点に立った喜びだった。
 しかし、わずか約三か月後に忽然(こつぜん)として世を去る。「一説には発狂したといわれる」(囲碁百科事典)が、当時の読売新聞には、病名は「陰火喉頭症」と書いてある。
 幕末から明治にかけて波瀾(はらん)の生涯を送った秀甫の評伝の筆を進めている。最終章の題は「天元に死す」にしようと思っている。
(囲碁史研究家)
(おわり)
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