岡目八目
(2)日韓中、19年の盛衰史
(寄稿連載 2007/03/26読売新聞掲載)富士通杯は第2回から大会内容を整えなおし、中華台北と南米を追加し7か国・地域となり、出場棋士を24人に増員して、初回の問題点を解決した。
第19回までの優勝数は、それぞれの国と地域の国際棋戦での盛衰を物語っている。日本は第1回の武宮正樹九段から第5回の大竹英雄九段まで連続優勝したが、第10回の小林光一九段を最後に優勝していない。
代わって韓国勢が台頭した。第2回でジョ薫鉉九段の愛弟子、李昌鎬三段が最年少の13歳で登場し、韓国碁界活性化の引き金になった。第6回で劉昌赫六段が優勝すると、現在までに9連勝を含む12回の優勝を果たした。
富士通杯の準々決勝は中国と韓国で隔年に行われているが、ベスト8に開催国の棋士がいないという事件が韓国と中国であった。李昌鎬九段が初優勝した翌年の第10回、釜山の準々決勝に韓国棋士がいない。開催地を既に発表しており、韓国棋院はやむをえず開催したが、大盤解説会もTV中継もなしと、はなはだ盛り上がらなかった。これに奮起したのか、翌年の第11回、李昌鎬九段が再び優勝し、李世ドル三段を筆頭に若い棋士がつぎつぎと登場し、今日まで韓国は連続優勝を果たしている。
第17回の北京準々決勝は中国に吹き荒れた新型肺炎(SARS)禍で、中国が開催を返上し東京で開催した。中国もこれが刺激になったのか、翌年、第5回応氏杯に常昊九段が悲願の優勝を果たした。不振を極めていた国際棋戦で、ここからLG杯、三星杯、春蘭杯などの連戦連勝が始まっている。なにか勝負事のあやのようなものを垣間みた思いがする。
日本の場合はどうだろうか。第18回と19回の準決勝に日本勢は連続して誰も勝ち上がらなかった。これを発奮材料として記念の第20回での優勝を期待したい。出場は山下敬吾九段、高尾紳路九段、張栩九段、依田紀基九段、結城聡九段と初出場の横田茂昭九段、仲邑信也八段の7人。
(富士通元宣伝部長)