岡目八目
(2)本因坊道策ら生んだ山崎家
(寄稿連載 2010/08/03読売新聞掲載)囲碁史上、名人就任の際に異論が唱えられなかったのは本因坊道策(1645~1702)ただ一人です。名人碁所を目指して家元四家が死闘を繰り返す歴史の中で、文句なしの突出した実力を有していたのです。
道策は石見国、現在の島根県大田市仁摩(にま)町馬路(まじ)の山崎家に生まれました。7歳で囲碁を覚え、14歳で本因坊道悦に入門したといわれています。23歳で御城碁に登場し、33歳で名人碁所に就任しました。
道策を生んだ山崎家は、井上道砂因碩(道策の実弟)、井上因砂因碩も碁界に送り込んでいます。その山崎家近くにある満行寺へ向かう細い道の途中に、道策の碑と井上道砂因碩の墓があります。
先日、久しぶりに足を運んでみましたが、傍らにある説明文によると、この墓碑は2002年に道策三百回忌記念として再建されたものです。
墓碑は過去に何度か再建されているようです。1882年に再建された際の古碑も一角に残っています。長い歳月にさらされて文字の多くは摩滅してしまっていましたが、安来市出身の坊門、岩田右一郎も協力した旨が読み取れます。
馬路には鳴き砂で有名な琴ヶ浜があります。道砂、因砂の2人の因碩に「砂」が使われているのは、このことに由来しているのでしょう。
道策らを輩出した山崎家には、まだ未公開の資料も残されているといわれています。3人とも入門以前のことについてほとんど分かっていませんが、新しい資料が公開されることによって新たな道策像が囲碁史に加えられることは間違いありません。
(囲碁史会会員)