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岡目八目

読売新聞 2010/08/17掲載
大庭信行さん

(4)秀策の兄貴分・岸本左一郎(寄稿連載)

 ◇おおば・のぶゆき
 2007年に世界遺産に登録された石見銀山の代官所がある島根県大田市大森で坊門の岸本左一郎(1822〜1858)は生まれました。
 岸本は本因坊秀策(広島県因島出身)の兄貴分的存在。これは郷里が比較的近いこと、本因坊丈和への入門がほぼ同時期だったことによります。
 大田市仁摩町天河内の満行寺(道策ゆかりの馬路の満行寺とは異なる)の前の小高い丘に岸本の碑が立っています。碑文の前面は本因坊秀和が1860年7月6日に書いており、背面は1864年晩春に安井衡の撰(せん)、紀広繁の書となっています。
 背面の碑文によると、林元美が岸本を後継ぎに望んだが、岸本の父がこれを認めず、七段(上手)での御城碁出場を願った、という興味深い記述があります。
 この碑文の内容が本当だとすると、元美はいつ後継ぎに望んだのでしょうか。岸本が江戸に出た時期は、17歳、22歳、31歳の時の3回あります。17歳で丈和に入門したのですが(やや遅れて秀策も入門)、当時は丈和が元美から争碁を申し込まれ、後に引退に追い込まれていますから、この時期はさすがに無理でしょう。
 ということで、岸本や林家の状況を勘案すると、2回目の江戸滞在のころではないかと推測できます。その頃、元美は秀策の棋譜21局を集中的に集めています。対岸本戦は8局あり、秀策の5勝3敗です。
 坊門期待の新鋭、秀策に引けを取らぬ岸本の戦いぶりに元美が興味を持った可能性は高いと思います。今後のさらなる解明が期待されるところです。
(囲碁史会会員)
(おわり)
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