岡目八目

岡崎丈和さん

岡崎丈和さん

(1)緊張感あった関西の2組織

(寄稿連載 2017/10/17読売新聞掲載)

 ◇おかざき・たけかず

 関西の碁界に関わって、20年ほどになります。まず地方紙の囲碁担当記者として、現在はフリーの囲碁ライターとして、プロ棋戦やアマ大会を取材しています。振り返ると、雰囲気がずいぶん変わりました。

 関西には日本棋院関西総本部と関西棋院という二つのプロ組織があります。現在、両組織がイベントなど普及活動を協力して行い、若手の棋士たちも共に研究会や合宿を開き、一緒に食事や遊びに出かけるなど、仲がいい様子。中国、韓国に後れを取る中、日本の棋士が団結するのは、頼もしい限りです。

 しかし私が担当になったころ、ピリピリとした緊張感がありました。当時の若手が所属の違いを超えて研究会を開いていると、師匠から待ったが掛かったと聞いたこともあります。「関西棋院は日本棋院に勝って、ナンボや」との声も。

 取材した中で、日本棋院、特に東京の棋士に、もっとも闘志を燃やしたのは、故橋本昌二九段でした。当初は日本棋院の棋士でしたが、1950年の関西棋院の独立と同時に所属が変わります。六段となった53年に段位の制限があった本因坊戦予選に参加しますが、日本棋院から段位を認めないとの異議があり、最終的には棋譜の審査でようやく出場が認められました。

 私が話を聞いたのは、50年ほどが過ぎてからでしたが、「日本棋院から受けた仕打ちで、一番の被害者は僕や」と声を荒らげていました。憤りが王座2期、十段1期獲得など、活躍の原動力になったのは間違いありません。

 むき出しの闘志を盤上にぶつけることも、強さにつながるのだと思います。

(囲碁ライター)