岡目八目
(1)瀬戸内 多くの名棋士輩出
(寄稿連載 2018/03/06読売新聞掲載)◇さんのう・ひろたか
私は瀬戸内海に浮かぶ、能美島(広島県)という地域の出身です。12歳の時に上京して囲碁の道を志し、16歳で棋士となりました。
そして瀬戸内は、実に多くの棋士を輩出していることで知られています。碁聖と称された因島(広島県)出身の本因坊秀策を筆頭に、明治時代の名棋士である大島(愛媛県)出身の水谷縫次。さらには私の師匠で日本碁界発展に大きく寄与した、能美島出身の瀬越憲作名誉九段、十段や王座のタイトルを獲得した向島(広島県)出身の半田道玄九段など、よく知られている名前だけでこれだけを挙げることができるのです。
アマ強豪として高名だった村上文祥さんも因島の出身ですし、淡路島からは江戸時代最強の素人と呼ばれる四宮米蔵が出ています。
これだけの碁打ちを輩出したということは、瀬戸内でいかに碁が盛んであったかの証明に他なりません。秀策と村上さんがあまりに有名であることで、因島の名は囲碁ファンの間でも知れ渡っていますが、私の故郷である能美島も昔から碁は盛んで、個人的には因島以上だったのではないかと思っています。
秀策の兄弟子であった石谷広策が、能美島初の専業碁打ちで、その後に中部碁界の発展に寄与した三宅一夫七段、瀬越先生が続き、さらにその半世紀後に私が棋士となりました。
古い書物を読むと、能美島では賭け碁が盛んだったようで、そのシビアな環境が全体のレベルアップに直結していたのでしょう。
かつて広島や瀬戸内では「能美に行ったら碁を打つな」という言葉もあったそうで、当時の能美島の碁のレベルの高さが窺い知れます。
(囲碁棋士九段)