岡目八目

三王裕孝さん

三王裕孝さん

(2)西国行きの人々が普及

(寄稿連載 2018/03/06読売新聞掲載)

 ◇さんのう・ひろたか

 本因坊秀策や瀬越憲作名誉九段、半田道玄九段をはじめ、瀬戸内海の島々からは多くの著名棋士が輩出されたという事実を、前回で記しました。

 では、その要因は何なのでしょうか? どのような世界であれ、天才がポッと出るわけがありませんから瀬戸内には歴史上、そういう土壌があったのだと私は考えています。

 囲碁はそもそも、公家や僧侶、武士といった、身分の高い人々の間で普及しました。将棋が一般庶民の間で親しまれたのとは対照的と言えましょう。

 こうした階級の人たちが室町時代、応仁の乱の戦禍によって、都を離れたり追われたりした際、瀬戸内を通って西国へ逃れる道筋がありました。このルートの存在は、さらに時代をさかのぼって平安から鎌倉への移行期、平家が都落ちした時に同じ行程を辿(たど)ったことで証明されています。

 そうした西国行きの人の中には、途中の島々に住み着くようになった人もいたことでしょう。これらの人が囲碁を広めたのではないかと考えているのです。

 また、大坂や堺の商人が中国や朝鮮との交易のため船を出すと、そのルートは必然的に瀬戸内を通ることになります。多くの交易船が島に立ち寄ったことは間違いなく、島の人々の生活は自然と豊かになったことでしょう。

 公家や僧侶といった、碁を打つ階級の人が島に移住し、その島民の暮らしも裕福だったとなれば、囲碁の普及率が高まり、盛んになることは必然です。碁を打つ人の裾野がとても広かったからこそ、その中から歴史に名を残す偉人たちが出現した。そんな想像が膨らむのです。
(囲碁棋士九段)