岡目八目
(3)瀬越憲作先生の先見性
(寄稿連載 2018/03/20読売新聞掲載)◇さんのう・ひろたか
私が故郷の瀬戸内・能美島を出て、東京で棋士を志すことになったのは、12歳の時でした。郷土の大先輩である瀬越憲作名誉九段が何かの都合でたまたま帰郷されていて、声をかけてくださったのです。
瀬越先生は、戦後碁界の覇者である呉清源九段の師匠として高名ですが、戦争によって打ちひしがれた囲碁界を立て直した、最大の功労者でもあるのです。詳細は省かせていただきますが、日本棋院の再建は、瀬越先生を抜きに語ることはできません。そうした偉業を成し遂げるだけの情熱と行動力、そして卓越した人間力の持ち主でした。
先生がどれだけ聡明で先見性を持っていたか――それは内弟子だった私に、英語の教師をつけたことからも知ることができるでしょう。碁の修業だけではなく語学も身につけろということでした。これからは「海外に目を向けなければならない時代だ」と考えておられたのだと思います。
若い頃に英語を覚えたことで、私は棋士になってからの後年、ヨーロッパやアメリカをはじめとする海外普及に力を注ぐことになるのですが、これもまた瀬越先生の勧めでした。先生ご自身が誰よりも、囲碁の国際化に情熱を注がれた方でしたから――。
1953年の夏に先生とともに巣鴨刑務所へ慰問で訪れたことや、銀座で行われた先生と岸信介さんの対局の記録係を務めさせていただいたことも、強い思い出ですが、とにかく瀬越先生は、人間として桁違いに大きな方でした。
そういう素晴らしい先生の弟子になれたことは本当に幸せだったと、心から感謝せずにはいられません。
(囲碁棋士九段)