岡目八目

高林拓二さん

高林拓二さん

(1)三段の時一度碁から離れる

(寄稿連載 2018/1/9読売新聞掲載)

 ◇たかばやし・たくじ

 囲碁を覚えたのは、金沢にいた小学4年生の時です。それまでは将棋で遊んでいたのですが、親友が碁を教えてくれると、こちらの方に夢中になりました。

 父は力碁で、アマチュアの県代表ぐらいの棋力だったでしょうか。でも教えてくれたことはなかったですね。私が覚えたことで、弟も碁を打つようになりました。

 大人を負かせるようになったのが楽しかった。他に碁を打つ子供なんか周りにいなかったから、天才少年とも言われたものですよ。

 13歳の春に上京しました。プロを目指すには、ちょっと遅かった。院生の一番下のクラスからのスタートでした。大窪一玄先生(九段、故人)の弟子になりましたが、大窪先生は内弟子を取っていなかったので、通いでした。

 ただ環境としては厳しかった。父の仕事がうまくいかなかったこともあって、仕送りが届いたのは、最初の数か月だけでした。自立、自活せざるを得なかった。生活のために、院生時代から中学のカバンをさげて、碁を教えに行っていました。のちに私も内弟子を取るようになりましたが、今のように恵まれた環境ではなかった。

 上京から5年かかって18歳でプロになりました。21歳の時に三段に昇段して、順調だったんです。

 でもそこで一度、囲碁から離れることにしたんです。もちろん碁は好きだったんですが、人生の意味について深く思い悩む中で、やめる決断をしました。1960年の安保闘争の後で、騒然としていた時代でした。本格的にプロの世界に戻るのは、20年以上も先のことになります。

(囲碁棋士六段)