岡目八目
(3)呉師が見せたプロの厳しさ
(寄稿連載 2012/06/19読売新聞掲載)1981年1月号より、「呉清源置碁」の連載がスタートします。「呉清源布石」も掲載していましたから、豪華二本立てです。毎月、選ばれたゲストが3子から7子で指導を受けるもので、呉師をもっとファンの身近に、という意図がありました。観戦記はフリーのライターに転身していた勝本哲州さんです。忘れ得ぬことがあります。
明日打つ予定だった学生の強豪から電話があり、「3子ということになっていますが、一生の思い出に2子でお願いできないでしょうか」というのです。編集長は、その意気やよしと判断し、対局当日に呉師に伺いを立てました。その瞬間、先生のお顔が見る見る変わり、しばらく沈黙の後、こうおっしゃるのです。「今日は打ちません」
事情がのみ込めない学生とスタッフはすごすご引き下がるしかありません。玄関から出ようとした時、ふすま越しに先生の声が聞こえてきました。「勝本さん、前に打った3子局があるから、今日はそれをやりましょう」。誌面に穴を空けることが避けられ、編集部一同、胸をなで下ろしました。後に勝本さんに尋ねたところ、3子は稽古、2子は勝負の手合であること、それを当日変更してはならない、とのことでした。プロの厳しさを垣間見た思いで、思わず襟を正しました。
1980年代後半、印刷業界に変化が起きます。活版印刷からオフセットへの切り替えが進んだのです。本誌も例外でなく、誌面は多少見やすくなりましたが、汗と油にまみれた多くの植字工さんが忽然(こつぜん)と消えてしまったのはショックでした。
(元「月刊囲碁」編集長)