岡目八目
(4)学生囲碁界、地方勢の奮起を
(寄稿連載 2005/06/06読売新聞掲載)「全日本」が主催する棋戦のメーンは、年末の団体選手権戦であるが、個人戦からまず言うと、夏の学生本因坊戦(共催は毎日新聞)、秋の学生十傑戦(朝日新聞)、冬の学生王座戦(日経新聞)、加えて年度末の女子の全国大会。本戦への出場者の枠は、地区ごとに、また棋戦ごとに取り決められていて、その出場者は地区予選において選出される。それらの個人戦は新聞社から誘いかけられて始まったものだが、全国八地区の団体戦(選手は五人、総当たりのリーグ戦)は、もともとは「全日本」の自前の行事だった。とはいえ、「全日本」の収入は八地区からの加盟費だけだから、設立者であった故藤田梧郎氏は毎年のように四苦八苦しておられた。代表幹事も大変で、棋院近辺の安宿を物色するとか、挙げ句は選手の旅費を八掛けに圧縮し、補欠の登録は認めるが、補欠には旅費や宿泊費を出さないと決めるとか。
折も折、平成元年に読売新聞から団体戦共催の話があって、これで一息つけると、安堵(あんど)した。読売新聞の支援は幸い今も続いていて有り難く思っている。団体戦で忘れられないのは、昭和五十九年からの東北大の四連覇と、平成五年と七年の北大の再度の優勝。しかし現在は二強六弱(関東と関西とが二強)の状態が長期化しているようで、この際地方勢の奮起を、強く促したい。それが学生囲碁界全体の底上げにも繋(つな)がるであろうと思うからである。
もう一つ有り難いと思っていることがある。それは平成六年に会長を降りた時(降りたのは、後任の会長に適任者を得て、今後は「全日本」に全力の傾注を、と思ったからであるが)は「連盟」の旧幹事たちが、また平成十五年に副会長を辞めた際は「全日本」の旧幹事たちが、大勢集まり、別れの会を催してくれたこと。十年と二十三年とが酬(むく)いられた思いがして、今なお、思い出すと、温かく豊かな気持ちになる。
(中央大学名誉教授、前全日本学生囲碁連盟副会長)(おわり)