上達の指南
(2)秀哉名人に勝ち三段に
(寄稿連載 2009/03/16読売新聞掲載) 来日直後、私がプロ棋士として何段で打つかを決める段位認定の試験碁を打つことになり、仮三段格で、篠原正美四段、本因坊秀哉名人、島村誼紀四段と対局しました。幸い三連勝して、飛び付け三段となりました。
秀哉名人とは二子ですが、当時の第一人者との対局ですから周囲はだいぶ心配していたようです。ただ、少年の私はひたすら碁盤に向かい、勝つことができました。私にとって生涯の出世碁と言えましょう。
「実戦譜1」の白1に黒2が冷静で、「参考図1」のように切ったりすると、白2、4と取られてしまいます。実戦譜の白3のツケは「参考図2」の黒1と受けさせて、白2、4と形よく治まる意図。こうなれば白が面白くなりますが、黒4がこの一手といえる抵抗です。
白は7まで最大限の頑張りですが、私は「実戦譜2」の黒8と敢然と切りを入れました。以下、黒24まで、右辺中央の白数子を取り込んで、勝利の光が見えてきました。
結果は黒の4目勝ちで、秀哉名人に「二子局として黒の会心の傑作なり」と褒めていただきました。
なお、兄弟子の橋本宇太郎さんが瀬越憲作先生の代わりに碁の進行を見守って下さり、夜遅く対局が終わった後、そば屋さんに連れていって下さったことも忘れられません。
(構成・牛力力)
●メモ● 呉少年は1928年(昭和3年)10月18日、母、兄と共に北京をたった。当時の読売新聞は「未来の名人として棋界に嘱望されている有名な天才少年棋客」「棋道の修業を為すべく東京留学の途に就いた」と報じた。途中、大阪、京都を見物し、23日、東京に着いた。