上達の指南
(4)まな弟子・林海峰と対局
(寄稿連載 2012/04/03読売新聞掲載) 私は1952年、台湾に招聘(しょうへい)され、蒋介石総統から大国手を受称いたしました。その際、10歳の林海峰少年と対局し、その才を認め、同年の来日後、弟子としました。以降、55年に入段してから毎年のように昇段し、10年足らずで名人リーグ入りしました。当時、21歳ですから、立派としか言いようがありません。
私もリーグに在籍していましたので、本局は記念すべき師弟対局でした。
「実戦図」の黒1は厳しく、これに対して白2は仕方ありません。
白2で「参考図1」のように切ったりすると、以下、黒8と切られてしまいます。白の打ちすぎです。
「実戦図」の黒5は白6を要求しています。黒7と形を整えましたが、黒5ではやはり「参考図2」のように黒1から3、5と隅の白2子を切断した方がよかったでしょう。
本局は、林さんが実力を出し切れず、私が勝ちました。
林さんは第3期は4勝4敗の6位でリーグに残留し、翌年の第4期では見事に挑戦権を得て、坂田栄男名人を破って名人位を獲得しました。弱冠23歳でした。
交通事故以来、体力、棋力の衰えの見えてきた私にとって、唯一の弟子である林さんが名人に就位したことは、感慨をそそるものがありました。
(構成・牛力力)
(おわり)
●メモ● 呉師は、静岡県熱海市で3月に行われた第36期棋聖戦七番勝負第6局の1日目、対局会場を訪れた。控室で、林海峰九段、王立誠九段らとその日の手順を並べて検討、「私ならこう行きたい」など鋭い指摘を発し、健在ぶりを見せた。打ち掛けの後は両対局者も交えて記念写真に納まった。
写真=第12期名人戦で防衛を果たした林名人(右)と挑戦者の石田芳夫本因坊。中央が呉師(1973年)
第3期名人戦
白 九段 呉清源
黒 七段 林海峰
(1963年11月)