上達の指南
(2)緊張した師匠との初対局
(寄稿連載 2012/10/02読売新聞掲載) 私が来日したのは満14歳の時。今年で84年になります。
来日に最も熱心に動いてくださったのは瀬越憲作先生です。先生に私を紹介した北京在留の山崎有民氏と緊密な連絡をとり、また、犬養毅氏、大倉喜七郎氏など政財界の有力者に私の来日の支援を要請し、ようやく来日が実現して、瀬越先生の門下となりました。先生は私の師匠でありますが、生涯、棋道に導いてくださった恩人です。
「実戦図」は、門下となり、初めて先生に打っていただいたものです。緊張の余り硬くなってしまい、不出来な碁ですが、私にとっては感慨深い一局なのです。
当時は、黒2と星に打つのは珍しかったのですが、私は小目よりも星の方が分かりやすいと思っていました。
黒6では、「参考図1」のように黒1とさらに広げるのが最もよかったのではないかと思います。白2から4と三々に入るなら、以下、白12までで一段落ですが、黒はさらにスピーディーに13と先着できます。
黒10は堅すぎました。「参考図2」のように黒1といっぱいに詰めるべきでした。
黒18で、「参考図3」の黒1と伸びたりすると、白2と開かれてしまい、その後、白AやBで形を整えられてしまいます。
本局は113手で打ち掛けとなりましたが、当時の私の棋力では勝つのは至難だったと思います。
(構成・牛力力)
●メモ● 呉少年の来日が決まった時、犬養毅は尋ねた。「北京の天才少年を日本に連れて来て、もし名人位を取られたらどうする」。瀬越は答えた。「それこそ本望です」。呉師はこれを聞いて、日中親善を強く意識することになったという。呉師が自著で紹介している。
写真=来日直前の呉少年。右は山崎有民氏夫人
白 七段 瀬越憲作
黒 2子 呉清源
(1928年11月)