上達の指南

呉清源師の「生涯一局」その十二

(2)地獄谷温泉で新布石研究

(寄稿連載 2013/02/12読売新聞掲載)

 新布石が発表される前から、私は三連星の先駆けとなる二連星を何局か打っています。当時はコミがなかったので、旧来の小目定石に従っていると、どうしても白が遅れてしまうと思ったのです。
 1933年夏、木谷実さんと信州の地獄谷温泉で新布石を研究し、秋頃から2人で実戦で打ち出すようになり、戦績も極めて良好でした。
 この新布石が世人一般にも広がったのは木谷実・呉清源・安永一共著の「囲碁革命・新布石法」が出版されたのがきっかけでした。安永さんが「発売当日、本を買いに来た人が二重三重に取り巻いた」と言っていますが、この時代に碁の本で4万部売れたというのは超ベストセラーと言っていいでしょう。
 「実戦図1」の白4、6は空き隅に行かず、また直接に隅にもかからず、ともかく変化してみたのです。
 黒9も当時の雰囲気をよく表した手です。今ですと「参考図」のように打つ方が分かりやすいでしょうが――。
 「実戦図2」の黒11から17に展開したのは、中央を囲おうとしたのでしょうが、かえって白に走られてしまいました。本局は持碁となりました。
 新布石は未熟な面もあったのですが、旧来の定石・布石から解放し、盤上の世界を広げたのは確かでしょう。また、しばらくの間、木谷さんと私が実戦で大いに打ち、勝率も良かったので、大旋風をひき起こしました。
(構成・牛力力)

●メモ● 呉師は著書の中で、木谷氏に誘われて地獄谷温泉に行った時のことを「避暑も兼ねての旅行でした。深い気持ちはありませんでした」と書いている。しかし着いてみると、木谷氏と囲碁ライターがおり、議論と研究に没頭することになる。帰京後も研究は続く。
写真=呉師(右)と木谷氏(1934年)

日本棋院秋季大手合
白 五段 呉清源
黒 五段 木谷実
(昭和8年=1933年)

【実戦図1】
【参考図】
【実戦図2】