上達の指南

呉清源師の「生涯一局」その十二

(3)新布石は現代碁の青春

(寄稿連載 2013/02/19読売新聞掲載)

 作家、川端康成氏がこう述べています。
 「木谷実、呉清源の新布石の時代は、二人の若い天才の青春時代であったにとどまらないで、実にまた現代の碁の青春時代であった。新布石は青春の創造と冒険との情熱を燃やし、棋界そのものを鮮麗絢爛(せんれいけんらん)な青春とするかの新風であった。木谷、呉のあとにも勿論(もちろん)すぐれた後進は現れたけれども、新布石時代の木谷、呉ほど明らかに時代を盛り上げ、時代を新に画した新人はまだ出ていないと思える。木谷、呉の新布石は今日の碁の開花の象徴であった。」
 この麗筆は面はゆいですが、新布石が現代の囲碁の進歩に果たした役割を的確に言い当てていると思うのです。
 「実戦図」の黒5から9まで、ちょっと奇異に感じるでしょうが、必ずしも悪いとは言えないでしょう。黒5ではイの三連星が普通ですが、白6で天元に打たれるのを避けたようです。
 白6では「参考図1」の白1が普通でしょうが、黒2以下、4、6と高圧的に打たれるのが当時としては嫌だったのです。
 黒7で「参考図2」の黒1の星ですと、白2、4、6と打たれた時に天元の石が孤立してしまいます。また黒7で「参考図3」と入るのは、白2、4と打たれて、気分がいまひとつです。
 本局は白の4目勝ちで、本十番碁は3対3となりましたが、木谷さんが六段となり、中止となりました。
(構成・牛力力)

●メモ● 新布石が誕生した1933年の10月、呉師は本因坊秀哉名人と対局、新布石で臨んだ。「三々、星、天元」の順番である。坊門では長く「三々」は鬼門とされてきた。常識破りとも言える布石に、秀哉名人は驚いた表情を見せ、坊門は大騒ぎとなり、ファンは大熱狂した。
写真=若き呉師(1930年)

時事新報 十番碁第6局
白 五段 呉清源
黒 五段 木谷実
(昭和9年=1934年)

【実戦図】
【参考図1】
【参考図2】
【参考図3】