上達の指南
(2)対局過多の疲労で結核に
(寄稿連載 2013/06/04読売新聞掲載) 1936年(昭和11年)は成績が良かったので、対局が極端に多くなりました。7月から8月にかけて17局も対局せざるを得なかったのです。読売、朝日、時事新報、東京日々、日本新聞連盟などの新聞碁に追われました。当時は一局に2日か3日かけるのが普通で、最後はほとんど徹夜になりました。しかも十数年ぶりの猛暑だったので、過労になり、体重が40キロを切るまでになってしまいました。
9月になると、体がだるく、夜になると微熱が出て、診察の結果、肺結核と診断されました。本局はそんな中での対局でした。
「実戦図1」の黒の三連星に、白6、8と構えました。今の私なら、白8で右下隅にイとかかり、積極的に打ちたい。
白10と高くかかりました。この手で「参考図」の白1と低くかかるのは、黒2と挟まれるのが嫌だったのです。白3で11と両ガカリに打ったりすると黒3と反撃されていけません。黒12のカカリが好点で、白13を待って黒14と好調に展開できます。さらに黒18、20と強化すれば、黒の打ちやすい碁になります。
「実戦図2」の白18までの進行は白に不満はありません。後にイの打ち込みが楽しみです。
本局は黒の中押し勝ちでした。この七番碁は病気療養のため私の3勝2敗で延期となり、その後、長野県の富士見高原療養所で1年3か月の入院生活を送ることになりました。
(構成・牛力力)
●メモ● この七番碁は読売新聞社が主催し、1936年6月に第1局が打たれた。呉師と木谷七段は当時、囲碁人気をリードする若手スター。ファンが待ち望んだ組み合わせだった。読売の社告は「木谷か呉か 七番勝負大棋戦 実力日本一の栄冠争奪」とうたった。持ち時間は各11時間。
写真=七番碁の開幕を告げる読売社告の一部(1936年5月27日)
読売新聞「昭和七番碁」第5局
白 六段 呉清源
黒 七段 木谷実
(1936年)