上達の指南
(3)療養から復帰、対局再開
(寄稿連載 2013/06/11読売新聞掲載) 1936年(昭和11年)秋から体調不良で自宅療養し、結局、肺結核と診断され、37年6月に富士見高原療養所に入院しました。38年9月に退院し、対局を再開しましたが、発病は対局過多のせいだったので、この年は自重して大手合だけにとどめました。本局はその一局です。
小野田千代太郎先生は私より18歳年長のベテラン棋士で、あまりの剛腕に「鬼田強太郎」の異名で恐れられておりました。不幸にしてがんを発病されましたが、発病前、神懸かりのような連戦連勝をされたのが忘れられません。1944年に逝去され、死後、八段を追贈されました。
「実戦図1」の白10と高く開いたのは白イのボウシを打ちやすくするためで、要は左下隅の黒模様を軽視してはならないということです。黒11と高く打ったのは、後に黒ロの詰めを見ているのです。
「実戦図2」の黒33まで、黒に外勢を張られ、左下の黒模様と呼応して、白が打ちにくい碁になりました。白34は様子見。黒35は迷われたようですが、私は「参考図」のように黒1と開かれるのが嫌でした。白2、4から6、8の筋があるにしても、黒は13まで全部受けても、全局的にとても厚く、悪くはなかったでしょう。黒35によって、白イの楽しみが残りました。
本局は、白の中押し勝ちになりました。私にとって病気から回復して、復活の一局と言えます。
(構成・牛力力)
●メモ● 富士見高原療養所からは八ヶ岳山麓が望めた。呉師は著書で「空気が澄んでいて、結核の療養には最適」と紹介。当初は冬の寒さがこたえたようだが、「不思議に風邪はひきませんでした。慣れてしまえば、寒さも辛(つら)くはありませんでした」と書いている。入院中に盧溝橋事件勃発。
写真=呉師と妻、和子さん(1948年)
秋季大手合
白 六段 呉清源
黒 六段 小野田千代太郎
(1938年11月)