上達の指南
(2)連勝スタートした十番碁
(寄稿連載 2013/09/24読売新聞掲載) 「打ち込み制」は江戸時代から明治、大正にかけて行われておりましたが、1939年(昭和14年)春、私が七段に昇段したのを機に、読売新聞社が「呉清源・木谷実打ち込み十番碁」を企画しました。四番手直りという厳しい条件です。つまり4勝差がつくと、負け越している側が一段下の手合になるのです。
第1局は鎌倉の建長寺で行われ、私の白番2目勝ち。本局は先番での第2局です。対局場は東京・芝の旅館でした。初日は初雪の朝でした。もともと3日前に予定されたのですが、ちょうどその日に木谷家に女の子が誕生し、延期されたのです。
「実戦図」の白14の下がりでは、「参考図1」の白1と押さえるのもありました。白3に黒が手を抜くと、白A以下、符号順に白Gまで生きが残ります。
局後、木谷さんは白26では「参考図2」の白1だったかとし、「実は黒4までのようになるのがいやでした。白A、黒B、白Cを打つか打たぬかが問題」とおっしゃいました。私が「参考図3」の運びになると思っていたと話すと、木谷さんは「それじゃ、そう打つんだった。実戦よりだいぶ良さそうだ」。
黒29で「参考図4」の黒1と抜くのは白2となり、木谷さんは「白も大いに満足するんだが……」との感想でした。
黒35となって不満はありません。本局は私の中押し勝ち。十番碁は連勝スタートとなりました。
(構成・牛力力)
●メモ● 対局会場に先着した呉師がお茶を飲んで待つうち、木谷七段が到着した。「おめでとう」との祝福に、木谷七段は「その節はすみませんでした」。対局延期を快諾した呉氏への感謝のあいさつだった。この時生まれたのは、後に女流棋士のリーダーとして活躍する礼子さん。小林光一名誉棋聖夫人。
写真=十番碁にあたって読売紙上に掲載された呉師の挿絵(宍戸左行画)
打ち込み十番碁第2局
白 七段 木谷実
黒 七段 呉清源
(1939年12月)