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上達への指南
呉清源師の「生涯一局」その十六 読売新聞 2014/07/08掲載
(2)2年ぶりの対局で完敗(寄稿連載)
 戦時中から新興宗教である璽宇(じう)の教祖、璽光尊(じこうそん)とともに各地を転々としていた私は、1944年(昭和19年)暮れからすべての対局を絶っていましたが、46年(昭和21年)8月、2年ぶりに石を握ることになりました。それが瀬越憲作先生門下の兄弟子、橋本宇太郎八段との十番碁です。持ち時間7時間で、当時では珍しい一日打ち切りでした。
 「実戦図1」の黒3と三々につけました。こうなると激しい戦いになるのは避けられません。もっともこの頃は白6で穏便に白12も打たれていました。
 黒9に対して白10の飛びを、私は読んでいませんでした。「参考図1」の白1、3となって、シチョウが良いので黒4、6で白を取れると思っていたのです。それで橋本さんは白10、12と変化したのでしょう。白14と切ったのは白16、18と先手でシボリを利かすためです。白20は頑張り過ぎかもしれません。
 「実戦図2」の黒21はあっさりし過ぎていたと言えましょう。こう打った以上、黒23を打たなければならなくなり、白24のゲタが生じてしまいましたから。白34まで△からの幅もありますし、これは白の注文図でした。
 ですから、黒21では「参考図2」の黒1と頑張るべきでした。勢い白2、黒3からコウとなりますが、黒がコウに勝てばAの詰めが厳しくなります。
 璽宇の宿舎から出かけての対局で、私の完敗でした。
(構成・牛力力)

●メモ● 呉師は璽宇について、自著で「心霊的な新興宗教」としている。戦中から戦後の4年間、夫婦で璽光尊と行動をともにしていたが、「私には璽光尊の霊がつくようなことはなく、お気に入りにはなれませんでした」という。戦後には大横綱、双葉山も信者となった。
写真=璽光尊と行動をともにしていた頃。左から3人目が双葉山、その右が呉(1947年)
打ち込み十番碁第1局
白 八段 橋本宇太郎
黒 八段 呉清源
(1946年8月)

【実戦図1】19(14)


【参考図1】


【実戦図2】


【参考図2】

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