上達の指南

呉清源師の「生涯一局」その十六

(3)虎口を脱して勝った一局

(寄稿連載 2014/07/15読売新聞掲載)

 橋本宇太郎先生との十番碁でのことです。私は第1局に負けたのですが、璽宇(じう)の教祖、璽光尊(じこうそん)も心配して、第2局の前夜は「神様の力を授ける」と同じ部屋に寝かされました。しかし相手は"神様"であり、しかも女性ですので、寝返りも打てず、すっかり睡眠不足になってしまい、対局では当然打つべき手を見落とすなど冷や汗をかくことになりました。
 「実戦図1」の白5は小さいようで、大きいところです。後で白イとなればこれがモノを言うし、逆に黒から5と押さえられると、次に黒ロでいい地ができます。
 白1で「参考図1」のような変化も考えましたが、一段落した後で黒に16、18と打たれて存外、と判断して決行しませんでした。
 「実戦図2」の黒1はチャンスを逸した一着。白は4までとかろうじて虎口を脱することができました。というのも「参考図2」の黒1と打って、白の大石を切断してコウにする手段があったのです。これは黒の花見コウなので白が大変です。別室で進行を見守っていた瀬越憲作先生は「橋本はまったくどうかしている。こんな碁を負けるようでは破門ものだ」と語ったといいます。温厚な先生にしては珍しいことです。
 最後の半コウ争いも黒のコウ材が足りず、白の1目勝ちとなりました。幸運に恵まれた一局でした。
(構成・牛力力)

●メモ● 橋本八段との対局まで約2年間、石を握らなかった呉師。十番碁が始まる前、こう声明している。「今回(中略)大乗的な意味で対局せよと熱心にお勧めを頂きまして日本の人のため、中国の人のため、この両民族の心をつなぐ信和のため(中略)決然と対局をします」
写真=橋本(左)との十番碁第1局(1946年8月)

打ち込み十番碁第2局
白 八段 呉清源
黒 八段 橋本宇太郎
(1946年8月)

【実戦図1】
【参考図1】8(5)
【実戦図2】
【参考図2】