上達の指南
(2)新布石研究、碁界に新風
(寄稿連載 2009/07/14読売新聞掲載) 昭和8年の春季大手合で五段に昇段し、木谷さんと同じ五段に並ぶようになりました。それを機に、時事新報社が「木谷・呉十番碁」を主催して下さいました。私にとっては初めての十番碁でした。
この十番碁は第六局を終わった時点で3対3でしたが、その後、木谷さんが六段になられたので中止となりました。それだけ当時の段割制度が厳しかったということで、現在とは隔世の感がします。
本局は、その第5局。「実戦図」の黒1、3の三々は当時としては珍しい。新布石の傾向の表れです。白6は今なら「参考図1」のように打つでしょう。
白30の後、木谷さんから「ここで打ち掛けにしよう」との提案があり、その後、二人で信州の地獄谷温泉へ行きました。木谷夫人の美春さんの実家の旅館があり、そこで布石の研究をし、新布石誕生へとつながりました。
旅行の1か月ほど後、この碁は打ち継がれましたが、打ち掛けの時は、黒31では「参考図2」の黒1と打ち込むつもりでした。しかし旅行の影響で「実戦図」のように気が変わりました。なお、「白32は33の方が碁が広い」と本因坊秀哉名人は評していました。本局は幸いにも黒中押し勝ちになりました。
新布石の研究早々で、まだまだ研究不足の面がありましたが、当時の碁界に新風を吹き込んだものと、今でも自負しています。
(構成・牛力力)
●メモ● 伝統的で形式主義に陥りがちだったそれまでの布石に対し、盤面を広く自由に使う新布石は囲碁界に革命的な新風をもたらした。呉、木谷の2人が新布石を用いて抜群の成績を挙げたことから、プロ棋士も次々と採用した。地獄谷温泉には「新布石発祥の地」の石碑が立っている。
写真=対局前にめい目する(1949年)
木谷・呉十番碁第5局
白:五段・木谷実 黒:五段・呉清源
(1933年)