上達の指南
(3)兄弟子の橋本さんに勝つ
(寄稿連載 2009/07/21読売新聞掲載) 読売新聞の2万号発行記念事業の一つとして、実力棋士16人のトーナメントによる日本囲碁選手権戦が企画されました。優勝者は本因坊秀哉名人に先番で打っていただけるのです。私は準決勝で木谷実さんに勝ち、決勝で兄弟子の橋本宇太郎さんとの対戦となりました。握りで橋本さんに先番が当たりました。コミのない当時は先番が絶対に有利です。
今回はその序盤の解説です。
「実戦図」の白1はあまり見かけない手ですが、この場合は意外に有力だったのです。「参考図1」の白1とかかるのがごく普通ですが、白7までの進行となります。白は実利を得たうえに黒を攻める楽しみも生じますが、黒2で「参考図2」のように黒1から3と打たれ、黒15までと生きられると、逆に攻められる立場になります。
「実戦図」の黒6で、「参考図3」の黒1と打ち込むのは、白2から4、6と打って、右下の黒が危うくなります。黒がAと手を入れるなら白Bとかかることになります。
実戦は白7と守れ、右下黒が薄いので、白としては満足できる序盤でした。本局は白の2目勝ちでした。
読売新聞の正力松太郎社長は私と秀哉名人との対局を期待していたらしく、橋本さんに「よく負けてくれた」と握手を求められたそうで、橋本さんは負けて褒められたのは初めてだ、とこぼしていたそうです。
(構成・牛力力)
●メモ● 呉と橋本はともに瀬越憲作門下。橋本が7歳年長となる。呉が1928年、14歳で来日した後、その面倒をみたのが橋本だった。呉が木谷実との対局でまね碁を試した時、事前に橋本に相談、橋本は「面白いからやってみなさい」と賛同したという。2人は後に2度にわたって十番碁を戦うことになる。
写真=妻・和子さんと(1952年)
日本囲碁選手権戦決勝
白:五段・呉清源 黒:五段・橋本宇太郎
(1933年)