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上達への指南
呉清源師の「生涯一局」その四 読売新聞 2010/03/02掲載
(1)橋本と戦後初の十番碁(寄稿連載)
 戦後、私は新宗教、璽宇(じう)の教祖、璽光尊(じこうそん)とともに久しく碁から離れていましたが、読売新聞社の要請を受けて、再び十番碁を打つことになりました。対局相手は橋本宇太郎八段で、橋本さんは私が来日する前、北京で瀬越憲作先生の代理人として入門試験碁を打って下さった兄弟子です。本局は1勝1敗の後の第3局です。対局場は千葉県野田町(現野田市)の個人邸でした。
 「実戦図」の白1は石の形です。要するに、白5が黒に対して先手利きとなっているのです。
 この白1で「参考図1」のように曲がると、黒2と白3を交換してから、黒4とはねます。白5、7と黒1子を取っても、黒8と下がって、白の眼形が怪しくなってしまいます。一方、黒4で5ですと、白4、黒6、白Aのようになり、黒が一気に押し切られてしまうでしょう。
 「実戦図」の黒2と出てからの黒4が好手でした。これに対して白が「参考図2」の1と遮ると、黒2と切ってから黒8まで、白は生きたものの外側が黒一色となってしまいます。
 ともあれ、「実戦図」の黒6と渡れて、黒がいっぺんに楽になりました。
 本局は、黒の中押し勝ちとなり、以降、第8局で打ち込んで、一段違いに相当する先相先とし、復帰後初の十番碁を飾ることができました。橋本さんとは昭和25年から、本因坊昭宇となった彼と先相先の第二次打ち込み十番碁を打ったことも記憶に残ります。
(構成・牛力力)

●メモ●  橋本宇太郎(1907〜94)は関西囲碁界の雄。50年、関西棋院が日本棋院から独立、発足した際に、その運動を主導した。厳しく闘志あふれる棋風で、「火の玉宇太郎」と呼ばれた。本因坊3期。在位中は昭宇を号した。46〜48年、50〜51年の2回、打ち込み十番碁を戦っている。
写真=橋本宇太郎との十番碁でのスナップ。中央が呉、その右が橋本(1947年)
白:八段・橋本宇太郎 黒:八段・呉清源
(1946年)

【実戦図】

【参考図1】

【参考図2】
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