上達の指南
(2)コミなし時代こその一着
(寄稿連載 2010/03/09読売新聞掲載) 私は十番碁で知られているようですが、三番碁もよく打ちました。
昭和22年5月、前田陳爾、坂田栄男、梶原武雄、山部俊郎、桑原宗久、塩入逸造、児玉国男、石毛嘉久夫の8棋士が囲碁界革新を唱えて日本棋院を脱退、囲碁新社を結成し、世間の耳目を集めました。これを好機に昭和23年、読売新聞社が私と坂田七段の三番碁を企画しました。手合は先相先。本局は私の1勝後の第2局です。
「実戦図」の黒1と肩を突いたのは、白イ、黒ロ、白ハを未然に防ぐためです。坂田さんは白2とはって受けました。
「参考図1」のように、白1と押し上げたりすると、黒2と押さえ、白3、5には黒4、6と根拠を作られた上に、△の2子が脅かされてしまいます。ですから白10までは一本道と言えます。黒11は手厚い手で、コミのない時代なのでこう打てたのです。今なら「参考図2」の黒1と先行し、以下、図のような進行になるでしょう。時代によって碁も変化するのです。
本局は黒の中押し勝ちで、三番碁は私の3連勝で終わりました。5年後、私は坂田さんと先相先で打ち込み十番碁を打っています。
三番碁が打たれた年、日本棋院は高輪に家屋を購入し、翌24年に開院式を行いました。その頃になると棋士の生活もどうやらレールに乗ってきて、囲碁新社の人たちも同年春までに全員が日本棋院に復帰しました。
(構成・牛力力)
●メモ● 呉清源と坂田栄男の打ち込み十番碁は1953年11月から翌年6月にかけて打たれた。呉が九段、坂田が八段当時で、手合は先相先。第1局を坂田が制し、第4局を終わって2勝2敗。ここから呉が一気に4連勝し、坂田を打ち込んだ。この十番碁は第8局で終わっている。
写真=坂田栄男(左)との十番碁(1953年11月)
三番碁第2局
白:七段・坂田栄男 黒:八段・呉清源
(1948年)