上達の指南

呉清源師の「生涯一局」その四

(3)手入れ問題 生じた一局

(寄稿連載 2010/03/16読売新聞掲載)

 戦前戦中の木谷実七段、雁金準一八段、藤沢庫之助六段、戦後の橋本宇太郎八段に続いて岩本薫本因坊と十番碁を打ちました。
 戦争末期の第3期本因坊戦は橋本宇太郎本因坊に岩本七段が挑戦し、あやうく原爆を免れた広島市郊外での第2局は有名な逸話です。本因坊となった岩本さんは薫和と号し、第4期も連覇して八段を贈られました。
 「実戦図1」の黒3に白4は左辺の△と呼応した新手です。白10までを想定、背を厚くして先手で切り上げ、白12と右下にかかる趣向です。
 従来の打ち方だと、白4で「参考図1」の1とハネ、黒8までですが、上辺一帯の黒の構えがよく、白がつらいと見たのです。なお途中、白7で「参考図2」の1とつぐのは悪く、黒8と飛ばれて左辺の白模様までもが消され、その上、右上の黒の構えにより入りにくくなるのです。
 「実戦図2」は終局図です。黒イと抜いて終われば白2目勝ち、コウ立てが多いとして黒が抜かずに終われば白1目勝ちです。立会人の瀬越憲作先生も解決できなかったのですが、後に「コウ材が多ければ手入れせずに終局する」との日本棋院審査内規があったことが判明し、白1目勝ちが確定しました。
 これが直接の契機となって、昭和24年に「日本棋院囲碁規約」が制定され、現在のルールでは手入れが必要となりました。その点では意義のある一局と言えましょうか。
(構成・牛力力)

●メモ● この対局は終局時、「白1目ないし2目勝ち」と発表され、数日後、「白1目勝ち」と訂正された。同じ局面は11年後、呉と高川格本因坊との対局でも現れた。半目勝負で、手入れの有無によって勝敗は分かれる。呉は手入れを拒否したが、囲碁規約の整備を条件に半目負けを受け入れた。
写真=岩本薫(右)との十番碁(1948年)

打ち込み十番碁第1局
白:八段 呉清源 黒:本因坊 岩本薫
(1948年)

【実戦図1】
【参考図1】
【参考図2】
【実戦図2】