上達の指南

呉清源師の「生涯一局」その四

(4)十番碁で8勝し九段に

(寄稿連載 2010/03/23読売新聞掲載)

 呉清源・高段者総当たり十番碁は、選抜された東西の10棋士が、「打倒呉清源」の闘志を燃やして挑戦してきた異例の十番碁ですが、私の九段昇段の試験碁だったそうです。
 手合割りは六段は定先、七段は先相先でしたが、10局中8局が私の白番でした。当然、コミなしです。私としては後から迫ってくる者たちに負けるわけにはいきません。
 「実戦図」の黒3の伸びに、白4のツギはよくありませんでした。その後、白8と頭を出さなければならなくなったからです。「参考図1」のように白1とつけるべきで、黒2と立つなら白3と押さえ、以下、白7までの進行が予想されます。
 「実戦図」の黒11は石の形そのもので、白の眼を取っています。厳しい手を追求する梶原さんらしい手といえましょう。
 白16ののぞきに、黒は「参考図2」のように2子を捨てる方がよかったかもしれません。白8までを交換しておいて黒9と打ち込んでいけますから。この後、白Aなら黒B、白C、黒Dで、怖くありません。黒9でAとつけると、逆に白9とはさみつけられてしまいます。
 本局は結局、白の中押し勝ちとなりました。
 この十番碁は私の8勝1敗1持碁で終了し、その成績が評価され、日本棋院から九段位を贈られました。35歳の時でした。往事渺茫(びょうぼう)といえましょう。
(構成・牛力力)

(おわり)

●メモ● 高段者総当たり十番碁は1949年7月から翌年2月にかけて行われ、梶原は二番手として登場した。当時26歳。対局前、梶原が「この碁に負けたら坊主になる」と言っているとの風評が流れ、実際、敗戦の後に髪を切ったという。ユーモアたっぷりの数々の名文句で愛され、昨年11月死去。享年86歳。
写真=九段の免状を授与される呉清源(1950年2月)

呉・高段者総当たり十番碁
白:八段・呉清源 黒:六段・梶原武雄
(1949年)

【実戦図】
【参考図1】
【参考図2】