上達の指南
(3)忘れ得ぬ瀬越先生の笑顔
(寄稿連載 2010/07/13読売新聞掲載) 私が九段に昇段したのを機に、読売新聞社が主催して「呉対七・八段戦」が50年春から51年秋にかけて行われました。七段にはオール向先、八段には向先相先の手合で、13人と対局し、結局、1局しか黒を持ちませんでした。
本局はその最終局で、瀬越憲作先生は私の師です。対局場で先生が下座に着こうとなさったので、私は反対し、先生に上座に着いていただいたのを覚えています。勝負とはいえ師弟ですから――。
着座してすぐ、「『論語』に、知者は動き仁者は静なりとあるが、呉さんは仁者だね」「先生、そりゃ違います。私はリキがつく方で、ジンリキシャです」というのが、最初に交わした言葉でした。
「実戦図」の白1から黒12まではよく打たれる形です。白15の二段バネで、「参考図1」の白1のように切ったりすると、黒2とまくられてしまいます。黒8までのように黒に渡られた上に隅の実利まで与えてしまうことになり、白が全然駄目です。
また「実戦図」の黒18では、私は「参考図2」の黒1と頑張られるのがいやでした。白2、4は当然ですが、黒5、7が手順を尽くしており、白8は仕方ありません。以下、黒11と展開されてしまいます。
「実戦図」の白31まで、白は上辺を地にした上、黒を分断し、不満はありません。
本局に勝たせていただいた時の師の笑顔を、今も忘れることができません。
(構成・牛力力)
●メモ● 瀬越憲作(1889~1972)は、「中国に天才少年がいる」と聞き、のちに首相となり五・一五事件で暗殺される犬養毅に相談するなど、呉の来日に尽力する。呉のほか、橋本宇太郎など多くの弟子を育てた。戦後、日本棋院理事長となり、空襲で焼失した棋院会館の再建に奔走した。
写真=呉(左)と瀬越(1949年)
白:九段 呉清源 黒:八段 瀬越憲作
(1951年)