上達の指南
(2)二つの梅鉢型で有利に
(寄稿連載 2010/10/26読売新聞掲載) 私は多くの棋士と十番碁を打ちましたが、最も多く対局したのは藤沢庫之助さんで、1942年の第1次から53年の第3次まで計26局打ちました。なかでも、この第2次十番碁は最も激烈な競い合いとなり、第5局まで2勝2敗1持碁で、しかも不思議なことに二人ともコミなしの黒番で勝てませんでした。第6局で私が黒番で勝ち、そして本局の第7局を迎えました。
「実戦図」の黒11までは第1局と全く同じ進行でしたが、今なら黒5では「参考図1」のようにスピーディーに打つでしょう。
また、黒11では私としては「参考図2」のように打たれるのが嫌でした。しかし当時は小ゲイマガガリが主流だったので、心配のしすぎだったでしょうか。
白12と高く挟みました。今なら普通ですが、当時は珍しい打ち方でした。
黒13、15に白14、16とひっくり返しを打ち、梅鉢型にしました。
今ではこれは白が有利というのが常識ですが、それが一般的に認められるようになったのは、この碁以来といってもよいでしょう。私は戦前から打っていたのですが――。
黒31まで左上隅と左下隅が同型となり、白の打ちやすい碁となりました。本局に勝って、十番碁の流れが私の方に傾いてきたといえる局でした。
本局は、勝敗はともかく、時代の流れによって打ち方もずいぶん変化するものだと痛感される一局です。
(構成・牛力力)
●メモ● 第7局は福島県飯坂温泉で行われた。1日目の打ち掛けの後、両対局者は地元の卓球愛好家から誘いを受け、しばしラケットを握って気晴らしをしたという。卓球は呉師の趣味のひとつだった。第2次十番碁は第5局から呉師が一気の5連勝で、藤沢九段を先相先に打ち込んで決着した。
写真=母、舒文さんと(1953年)
第2次打ち込み十番碁第7局
白:九段・呉清源
黒:九段・藤沢庫之助
(1952年4月)