上達の指南
(1)取り消された名局評価
(寄稿連載 2011/03/29読売新聞掲載) 坂田さんとの十番碁が開始されたとき、私は39歳、坂田さんは33歳でした。坂田さんは年下ながら、当時、最強の評が高い棋士でした。
この十番碁は、坂田さんとは一段差なので先相先、持ち時間は各10時間、どちらかが四番勝ち越すと打ち込みとなり、そこで打ち切りとする約束でした。第1局は私の白番負けで、本局を迎えました。
「実戦図1」の黒1、初手を小目に打ったのは20年ぶりでした。この十番碁の前、坂田さんと六番碁を打ち負け越していたので、気分を一新したのです。黒7の三々も当時は珍しいものでした。
左上、白24の押さえは重く、黒35となっては三方がらみです。
白50では直ちに52と打つべきでしょう。黒61までと、先手で封鎖し、黒65と取り切っては勝負ありといえましょう。
「実戦図2」の黒5から11までは、相手にお付き合いしたような手でした。白12と先着され、形勢が細かくなりました。ですから、黒5で「参考図」の黒1と展開していれば、下辺に白地がまとまらないので、それまでの勝負でしたが――。
本局は黒の中押し勝ちとなり、1勝1敗となりました。
局後、瀬越憲作先生が「この碁は呉清源の名局かと思っていたが、途中、中央の2子をポン抜くようでは、せっかくの評価も取り消さざるを得ないな」とおっしゃったのを、今でも忘れません。
(構成・牛力力)
●メモ● 坂田との十番碁第1局は1953年11月4、5日、東京都千代田区の「福田家」で、この第2局は同月19、20日、水戸市の「水戸観光ホテル」で打たれた。十番碁の日程としてはかなりのハイペース。坂田としては満を持しての十番碁で、「いよいよ本場所だから本腰を入れてがんばります」。
写真=第1局打ち掛けの夜、なんと二人で入浴(1953年11月4日)
打ち込み十番碁第2局
白 八段・坂田栄男
黒 九段・呉清源
(1953年11月)