上達の指南
(3)直ちに二間に高ガカリ
(寄稿連載 2011/04/12読売新聞掲載) 岩本薫さんは私がまだ子どもだった頃、北京に見えられて対局してくださいました。3子局で私が勝ち、2子局では2目負けましたが、それが私の日本の碁界に知られるきっかけになったとのことで、私の囲碁人生の出発を画することになりました。
岩本さんの碁は「豆まき碁」と呼ばれ、淡々とした独特の棋風で知られていました。
岩本さんとは戦後、十番碁も打たせていただきましたが、この三番碁は、岩本さんがまだ八段でしたので先相先の手合でした。本局は私の1勝1持碁の後の第3局です。
「実戦図」の黒1の小目に、白2と直ちに二間に高ガカリしたのは一種の様子見ですが、私が昔から愛用していた手です。
黒3とすぐ受けたのは「参考図1」の白1のツケを嫌ったのでしょう。というのは、「参考図2」の白1より厳しいからです。
黒3に白4は妥当で、時機をみてイと押さえるのです。もし、白4で「参考図3」のように白1と受けたりすると、黒4と先着されてしまいます。その後、白Aと開いてもつまらないし、といって、黒Bと打たれるのも困ります。
コミのない碁ですから、白にとっては速度が何よりも大事なのです。
本局は白の2目勝ちでした。
半世紀以上たって、記憶をたぐり寄せるのは、懐かしく感慨ひとしおの思いがあります。
(構成・牛力力)
●メモ● 岩本が北京を訪れ、呉少年と対局したのは1926年。当時、岩本は六段で24歳。呉は12歳だった。呉は「碁の天才少年」として評判をとっており、訪中した岩本との対局が実現した。この対局の後、呉の来日に向けた動きが加速。2年後の28年10月、呉は神戸の土を踏む。
写真=岩本(左)との十番碁(1948年)
挑戦三番碁第3局
白 九段・呉清源
黒 八段・岩本薫
(1954年5月)