岡目八目
(3)古書の外装 すべて記憶
(寄稿連載 2018/10/31読売新聞掲載)私の囲碁の腕前は、せいぜい初段といったところです。ですからプロの先生方のように、自分の打った碁を並べ返すことなどできませんし、手筋や定石なども知りません。
ですが囲碁の本、特に江戸時代から明治・大正・昭和初期にかけての出版物に関しては、誰にも負けないほど知り尽くしていると自負しています。あらゆる本の版型や装丁が頭の中に入っているので、書名を言われればすぐにその姿が浮かんでくるのです。
なので40年も古書や史料の収集を続けていると、どこに行けばどのような本とめぐり会えるかという、勘のようなものが働くようになってきます。初めて立ち寄る古書店であっても、店内に足を踏み入れた瞬間「こっちの本の束の中に、囲碁の本が眠っているはずだ」という勘です。
大抵の囲碁の古書はお店側もその価値がわかっていないことが多く、しかもセットではなくバラで入手されていることがほとんどです。従って本棚に並べられているのではなく、平らに他分野の和綴じ本とともに積み上げられています。
そうして置かれている本の山の中から、何か囲碁の本はないかと探すわけですが、先ほど記したように私は江戸から昭和初期にかけての本の外装がすべて頭に入っているので、背表紙や本の一部を見ただけで「これは囲碁の本だ」とわかるようになりました。大きさと和綴じの形、そして色で判別できてしまうのです。
興味を持って取り組んでいるうちに、自然と身についた特技ですが、これはプロ棋士の先生方が手筋や定石を自然と覚えた過程と似ているのではないかとも思います。
(囲碁史研究家)