岡目八目
(2)婦人の言葉が普及の原点に
(寄稿連載 2011/11/22読売新聞掲載)碁を覚えたのは中学1年の夏休みです。2年の時、縁があって院生になり、当時、高輪にあった日本棋院に通い始めました。棋力は低かったのですが、昭和20年代のことで院生になる資格も相当甘かったのでしょう。
院生仲間には安藤武夫さん(現七段)、楠光子さん(現七段)など優秀な方が多くいたこともあって、1年ほどで辞め、受験勉強に励むことにしました。
慶應に入り、高校、大学を通して囲碁を中心とした学生生活を送りました。学友にも恵まれ、2年と3年の時に全日本大学選手権団体戦で連覇を達成できました。社会人になってからも、アマチュアの大会に数多く参加し、囲碁に打ち込む生活でした。
50歳になって、地元の船橋市の公民館で、夜間の入門講座の講師を頼まれました。電車で通ってくる熱心な初老のご婦人がいました。なかなか強くならず、気にしていたところ、「私、強くならなくてもいいのです」とおっしゃるではありませんか。
目からウロコのひと言でした。強くなるばかりじゃない。いろんな人と盤を囲むこと自体に囲碁の楽しみはある、と思い至りました。これが私の囲碁普及の原点となりました。
さて、千葉県少年少女囲碁連盟初代会長の田岡敬一さんは、千葉出身の森田道博、三村智保、高尾紳路少年らを育て、藤沢秀行名誉棋聖の門下に送り出した名伯楽として名高い方で、連盟の基盤も築かれました。
その田岡さんが1989年に逝去され、連盟会長を私が引き継ぐことになり、本格的な普及活動が始まることになりました。
(山下塾・塾長)